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私のきらいなケータイ
電車の中で化粧をする人が嫌いだ。 なぜあんなにも堂々と自分が「化ける」瞬間を他人にみせられるのだろうか、 はなはだ疑問である。 朝、化粧もする時間がない、というのであれば多少同情もするが、 休日の昼間であろうとおかまいなくまつ毛を挟んだり、マブタを塗ったり。 私の中では『見たくない女性の行為』のかなり上位にランクされるのだが、 昨今そういったひとの数は増える一方のようである。 なぜこんなにも人前で化粧をするひとが増えたのか、と考えてもみたが、 それよりもやはり なぜそのことに違和感を持たずにいられるのか、という問題であると思う。 デリカシーがない人が増えたと言えばそれまでだが、そうなってしまう人達は、自分のプライベートな空間とその他との境界をはかれないのだろうか・・・・ 「他人の目なんか気にしない」という主体的なものではなく、 「他人の目が気にならない」という、ある種の“感覚喪失”に近いのではないか・・・・ そしてその原因は、気付かないくらい身近にあるモノではないか・・・・と。 携帯電話である 1990年代前半に本格的に登場するやいなや爆発的に普及し、 今現在日本国内だけでも9000万台近いの携帯電話が使われている。 通話だけでなくEメールやインターネット機能を装備した情報ツールとして、 仕事用・友達用・恋人用といった個々人との人間関係、連絡頻度に応じて 複数台使用している人も決して珍しくはない。 10代後半から20代の女性で、もはや持っていない人を探すほうが難しいほどの 今や立派な「生活必需品」である。 携帯電話の登場により、人のコミュニケーションは急激に変わってしまった。 “友達と待ち合わせた時に、時間に遅れた友達から 「ごめん、今向かっている」という連絡を受けた。” 携帯電話を持っている人ならこれと似たような経験が一度はあるのではないだろうか? 固定電話を使っていた時代は、待ち合わせは「時間」と「場所」をキッチリと決めておく必要があったが、 今では「いつ・どこにいても」簡単に連絡が取れてしまう。 さらに 『どこそこにいるので、近くまで来たら連絡ください』 とメールを送っておくだけで、もはや時間も場所も事前に決めなくても待ち合わせが出来るようになってしまった。 「気にしなければいけないもの」が「気にしなくてもいいもの」に変わってしまったのだから、 「時間」や「場所」に対して多かれ少なかれ感覚的にルーズになったとしてもそれは当然と言えるかもしれない。 いつでも自由に知人や友人に連絡がとれるということは、 言い換えれば自分に対しても何時・誰から連絡がくるかもわからない、ということでもある。 公私に関わらず、他人とのコミュニケーションの距離が極端に縮まってしまった結果、 他者とのコミュニケーションにおいて携帯電話に依存する人ほど「公・私」の「公」の部分が少なからず欠落して、 「オールタイム・プライヴェート」とでもいうような感覚(錯覚?)を持つようになってきている ・ ・ ・ ・ ・のかもしれない 以上は私の個人的考察なので、携帯電話とそれを使う人のメンタリティとの 直接的な因果関係はわからない。 ただし、 携帯電話は便利だが、なくても生きていけるものだ、と私は思う。 その便利さが私たちの何かを変え、歪ませているのでは、とも。 そして、 私は今、会社で携帯電話用のHPをつくるシステムを売っている。 はっきり言って、携帯のインターネット機能なんて使ったことがない。 メールと通話ができればそれで十分だとおもう。 そんな私が携帯電話をさらに便利にするようなシステムを売っているのだから お笑い種だ。 たまたま入った会社がそういった事業をしていただけであるので、 「仕事は仕事」として、頑張って売り込む。 だが、 自分の努力がさらに人を携帯電話に引きずり込み、 重ねて電車の中で化粧をする人が増えるかと思うと、 時折、仕事を変えたくなる。 私が年内に仕事をやめるとしたら、 そんな理由だったんだろう、と想像して下さい。
by football-tt
| 2006-10-20 00:41
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